
画像引用元:美輪明宏 公式サイト
長い金髪に妖艶なメイク。
アラフォーの筆者が幼き頃初めてTVで拝見した際、この人は男の人?女の人?なぜ金髪で濃い~メイクをしてキラキラドレスを身にまとっているの?と不思議でたまりませんでした。
それでいて立ち居振る舞いや指の先まで美しいしぐさ。
ひとたび話始めると、穏やかな優しい声音に幼いながら心地よささえ感じました。
もののけ姫が上映された際、主人公サンの育て親、モロのドスのかかった声に「あっ!!」と身震いしました。

画像引用元:アニメx声優x秘話【解説・考察・探索】
紛れもなく美輪さんだったのです。
その後、『オーラの泉』が社会現象となり、美輪さんが正真正銘芸能人であることは認識できました。
月日は経ち、我が子の登園支度に手こずりながらTVを流し聞きしていたらEテレからまたもや聞き覚えのある声が。
息子を抱えて振り返る画面に、にほんごであそぼう『みわサン』って、何だーーッ!!

画像引用元:NHK「にほんごであそぼ」
太陽と美輪さんの過激に眩しいコラボレーションに、完全に度肝をぬかれた瞬間でしたね。
圧倒的な存在感と、慈悲深さ・・・そんな美輪さんの多大なる魅力をほんの一部でも皆さまと共有できればと思います。
よろしければ、お付き合いください。
プロフィール
芸名:美輪 明宏 (みわ あきひろ)
生年月日:1935年〈昭和10年〉5月15日 (2026年3月現在90歳)
出身地: 長崎県長崎市
職業:歌手・俳優・演出家・タレント・声優・コメンテーター・ナレーター
所属:株式会社オフィスミワ(個人事務所)
身長:161㎝
趣味・嗜好:音楽(クラシック、ジャズ、シャンソン)、演劇、美術、映画、歌舞伎、能、落語、アニメ、漫画など、多様な芸術全般
特技・才能:歌手・作詞・作曲(シャンソン)、俳優・演出・舞台表現、朗読・ナレーション、人を本質を見抜く力・コメンテーター、独特の美意識と発信力
好物:ちゃんぽん・皿うどん・つぶあん・黄色いライスカレー (美輪さんの故郷、長崎に因んだ親しみやすいものである)
座右の銘・信念:『人生はロマン』・・・「自分は不幸だと悩むのではなく、試練を与えられた物語の主人公だと思えば、人生をエンジョイできる」という考え方を大切にしている。
経歴(略歴)
生立ち~幼少期
長崎県長崎市で、5人兄弟の次男として誕生。
実の母は2歳の時に亡くなり、2番目の母(義母)を迎えるが、この母はとてもおしゃれであり、実の子のように美輪さんと兄をとても大切にしてくれた。そして、彼もこの母が大好きだった。
実家は、長崎市内の「丸山遊廓」と呼称された遊廓の近くで、「世界」という名前のカフェーや料亭、風呂屋を経営して成功を収め、経済的に豊かな環境で育った。
当時長崎は、オランダ、ポルトガル、スペイン、イギリスをはじめ、中国・朝鮮人など多様な人種が住んでおり人種差別など皆無。
国際色豊かで自由な風潮の中、子供同士で遊ぶよりもにぎやかな遊郭での男女の人間模様をオブザーバーとして冷静に見て育った経験は、のちに美輪さんの人格形成に多大なる影響を与えた。
『容姿容貌、年齢、性別、国籍、持っているもの、そういったものは一切見ない。目の前にいるひとの魂、心がきれいかきれいじゃないか、それだけが問題であって、それが基準。』そういう意識が幼心に芽生えた。
9歳の時、大好きだった義母が3人目の弟を早産してすぐ亡くなり、悲しみに暮れるが、生前子供たちを一心に愛してくれた義母への恩返しがしたくて幼い弟たちの面倒を全力で見ていくことを決心する。
次第に世間は戦争体制へ。
1945年(昭和20年)8月9日、10歳の時に被爆。
美しかった長崎の町並みは原子爆弾によって焼け野原に。
『阿鼻叫喚の交響楽がシンバルやティンパニーの乱打とともに、何十万の悲鳴のコーラスを叫び、この世の果てまで届くよう助けを求めて哭ないていました』
と美輪さんは後に振り返っている。
歌手として家族を養った10年!
戦後、声楽とピアノを本格的に習い始めた美輪さん。

画像引用元:美輪明宏 公式サイト
地元の中学を卒業後、上京し国立音楽高等学校(現・国立音楽大学附属高等学校)へ入学したが、裕福だった家族は戦争の影響で路頭に迷うことに。
父と兄は結核にかかりサナトリウム(療養所)に入ってしまったため、学費も払えず学校も中退。
15歳にして実家の生活費と異母弟3人の学費を工面するため美輪さんが独りで働いて一家を養うことに。
新宿駅の構内や地下道でホームレス生活を送った日々もあった。
当時の口癖は「負けるものか」。
17歳のとき、銀座のシャンソン喫茶『銀巴里(ぎんぱり)』の専属歌手になり、次第に人気を博し、三島由紀夫、吉行淳之介、野坂昭如、大江健三郎、中原淳一、遠藤周作、寺山修司、なかにし礼等、錚々(そうそう)たる文化人の支持を得る。

画像引用元:美輪明宏 公式サイト
お世話になった義母との約束、異母弟3人を立派に育て上げることを目標に、他のキャバレーや進駐軍でも歌手活動をし、毎日遮二無二頑張っていた美輪さん。
22歳で『メケ・メケ』がヒットし大ブームとなり、ようやくメジャー歌手に。

画像引用元:Amazon music
しかしその後、同性愛者であることを告白して批判・差別にさらされてしまう。
『ヨイトマケの唄』 のヒットで再ブレイク。その後は多岐にわたり活動の幅を拡げる!
1965年(昭和30年)30歳のときに、労働歌である『ヨイトマケの唄』を発表。
この曲が労働者や差別される人々に支持され、大ヒットして再ブレイク。
1967年、寺山修司の演劇実験室・劇団天井桟敷旗揚げ公演で、寺山が美輪のために書き下ろした舞台作品『青森県のせむし男』や『毛皮のマリー』に主演。
1968年、自叙伝『紫の履歴書』を発表。
同年、原作・江戸川乱歩、脚本・三島由紀夫、演出・美術・衣装・主演・美輪明宏による舞台作品『黒蜥蜴(くろとかげ)』に主演。女盗賊・黒蜥蜴を追う名探偵・明智小五郎が丁々発止と散らす恋の火花と”究極の対決”が大ヒット。

画像引用元:Bunkamura
自身の被爆経験と、長年の食生活の乱れも相まって、体調の悪化が懸念されたが、1979年にエディット・ピアフの生涯を描いた、自作自演となる『愛の讃歌』を初演。
1970年からは、TBSラジオ『ラジオ身の上相談』を担当し、芸能人が担当する人生相談としては、異例の25年という長期に渡り続き、人気を博す。
1983年には、舞台『毛皮のマリー』を再演。
歌手としては、1984年にパリで、1987年には、パリ、マドリード、シュトゥットガルトでリサイタルを開催し、『ル・モンド』、『リベラシオン』を始め多数の新聞・雑誌に紹介・絶賛される。
1993年、1985年の『大典礼』以来、舞台に立てない程に悪化していた持病が、前年に奇跡的に完治した事で、24年ぶりに待望の『黒蜥蜴』を再演。
2012年、『第63回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし、『ヨイトマケの唄』を歌う。77歳での『NHK紅白歌合戦』初出場は史上最年長。

画像引用元:NHK
近年では、アニメ映画『もののけ姫』『ハウルの動く城』『劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール アルセウス 超克の時空へ』などで声優として活躍する。
俗世を超越したキャラクターで、TVバラエティやラジオの人生相談でも人気を不動にものにしている。
2025年に90歳を迎え、メディアへの露出は減ったものの、現在も精力的に活動中。
出典: Google AIモード
経歴をほんの一部ご紹介させていただいただけですが、幼少期から尋常でない経験をされ、歯を食いしばって試練を耐え抜き、その後は描ききれないほどたくさんの輝かしい経歴へと繋がります。
足の爪の先にも及ばない若輩者の筆者が、今回美輪さんを改めて調査させていただき、スゴイところ、格好いいところ、尊敬するところって、何だろう・・・と改めてその魅力を整理してみました。
美輪明宏 ちょこっと面白伝説からその魅力を探る。
- 「好きな食べ物は?」との質問に、「人の悩みを食べて、涙を飲んで生きてるの」と答えた。
納得だ(笑)!
- 作家の佐藤愛子さんは美輪さんに会うたびに「この人、何食べてるんだろう・・・」と不思議に思うそう。
『銀の器に盛られたクジャクの冷肉か、紅バラを浮かせた海ガメのスープか、龍宮のコケで作ったプディングか。そのような山海の珍味を、彼女はパクパク食べるのではなく、ほんの一匙か二匙、紅唇に運び入れるだけ』
と、とてもユーモアのある創造を巡らせるとのこと。
なるほど、その通りかもしれない!と、こちらも腑に落ちた感に満たされる。
- 数々の超著名人との交流。
江戸川乱歩と美輪さんが出会ったのは、美輪さんがシャンソン歌手を夢見て上京し、まだ「丸山臣吾」の本名で歌い始めた16歳の頃。
同性愛者が集まる銀座の喫茶店『ブランスウィック』だった。
美少年である容姿に加え、会話の節々に感じる「頭の回転が速くて物おじしない」態度も大変気に入り、彼をひいきした。
同じ店で「天才作家」として名を馳せていた26歳の三島由紀夫と出会い、美輪さんの美貌と演技力と歌唱力とを『現代劇の女形』と絶賛した。
三島さんは、『天上界の美』というキャッチフレーズで美輪さんの後押しをはじめ、レコードデビューの間接的なサポートなどその尽力は計り知れなかった。
美輪さんの交友関係は幅広く、
文学・芸術: 三島由紀夫、江戸川乱歩、川端康成、澁澤龍彦、吉行淳之介、瀬戸内寂聴、寺山修司
演劇・芸能: 中村勘三郎(17代、18代)、杉村春子、水谷八重子、黒柳徹子、渡辺えり、蜷川幸雄
歌手・音楽: フレディ・マーキュリー、吉井和哉、池辺晋一郎(作曲家)
その他: 横尾忠則(美術家、グラフィックデザイナー、版画家、作家)、なかにし礼(小説家、作詞家)、 江原啓之(スピリチュアルカウンセラー)、假屋崎省吾(華道家)
と、昭和の文豪から、現代の著名人に至るまで、非常に幅広く、伝説的なエピソードに満ちている。
- 黄色のロングヘアーの理由
2011年3月28日、『徹子の部屋』に出演した際には、「いろんな病気をして来て肺を患った時、30代で一気に白髪になった」旨の発言をしている。
その後長らく髪の毛を黒く染めていたが、1998年頃より風水に基づき黄色く染めロングヘアーにしている。
- 美輪さんのファッションの遍歴
銀巴里でのアイドル時代(1950年代~60年代)・・・その美貌と洗練されたファッションですでに注目を集めていた。 性別の枠に囚われない、モダンで都会的なスタイル。
戦後、米軍キャンプなどを歌って回るうち、たとえ歌が上手くても日本人歌手のファッションは地味でショーになっていないという現実を知り、かつて平安時代の十二単にあるように、多才な色彩や紋所デザインを誇る日本独特のデザイン性を何とか現代的に復活させることはできなかと、あれこれ試行錯誤する。
当時珍しかった紫色で髪も衣装も着飾りシャンソンを歌ったところ『昼の銀座にきれいなお化けが出る!』と雑誌に取り上げられて、娯楽に乏しい時代に次々新しい観客が銀巴里に集まり、瞬く間に話題となる。
舞台女優・黒蜥蜴としての華麗な時代(1960年代後半~)・・・演劇活動において宝石やドレスなどの豪華な衣装を身にまとうことにより、『人の心を潤す本物の美』を表現した。
『美輪明宏』への改名とシンガーソングライター時代・・・『ヨイトマケの唄』などのヒットにより、歌手として自身の真実を唄う中で、舞台とは異なる、感情を込めた表現にふさわしい服装へシフトした。 トレードマークとなる黄色い髪もこの頃から確立されていく。
近年・・・近年、テレビ出演やメディア露出の際は、イッセイミヤケの「プリーツプリーズ」を愛用。プリーツプリーズを含め、100着以上のイッセイミヤケの衣装を所有し、その鮮やかな色彩と機能美を好んでいる。
美輪さんにとって、身にまとうあらゆるものは単なる「衣裳」ではなく、彼自身の人生哲学や『人々に夢や美しさを届ける』という信念をまさに体現していたのです。その時代の流行りに流されることなく、むしろ先駆者として、個性をより豊かに表現する「お洒落心」を大切にされていると理解できますね。
- 美輪さんの性別は?
美輪さんは男性ですが、同性愛者であることを早い段階でカミングアウトし、周囲の偏見と戦いながら歌手・俳優活動を続けてこられた。
若い頃からそのセクシャリティを隠さず活動し、人間同士が愛し合うことの平等さを訴え続けてきた、日本のLGBTの先駆的な存在として知られている。
男性の気持ちも、女性の気持ちも両方とも持ち合わせ、人生経験豊富なことも相まって、多くの人々から人生相談を持ち掛けられる数少ない存在。
美輪さん曰く、性別を超えた本物の色気とは、『色香(いろか)が漂う人』のことであり、色香とは、その人から自然とにじみ出る優美さや気品、風情、愛嬌などのこと。そういう部分に人は魅力を感じる。ふだんの何気ない行動にもいたわりと思いやりを込める生活習慣を忘れないこと。相手の立場や気持ちを察し、その人の身になって考える想像力を育むこと。それが、本物の色気につながると説いている。
同性愛者を公言した後も「人間が人間を愛して、どこが悪いんだ」という強い信念を持ち、愛することの平等さを強調。時に石を投げつけられたこともあったとか。しかし一貫して自身の信念を貫く姿は、多くの人々に影響を与えてきたし、これからも変わらないでしょう。
昨今何かと話題に上がるLGBTですが、戦前戦後の差別厳しい時代から負けることなく戦う堂々たるお姿に、本当に平伏するばかりです。
まとめ
ここまで、美輪明宏さんの魅力を探ってきましたが、今になって、美輪さんの渾身の舞台を生で拝見したかったと、悔しくてたまらないです。
現在90歳。その元気の秘訣は、好奇心を持ち続け、年齢を数字で捉えず、常に前向きな精神(プラス思考)を保つことだそうです。
老いを受け入れながらも今を充実させておられますね。
美輪さんに「死」という概念はなく、不死鳥の如く何度でも妖艶に蘇り、果てには本物の『神』になって再登場・・・などと心の中で想像を膨らませてしまうのは筆者だけでしょうか?
数々の凄まじい人生経験から得た知恵、教訓は、美輪さんの名言集として広く語り継がれています。
長年に渡り『常に自身を磨き、高めること』を説き、私たちを導いてくれるその存在感ときたら、本当に半端ない超人です。
美輪さん、これからも尊敬し、末永く応援しています!
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


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